ペリグー Périgueux |
ペリゴール Périgord地方の中心地です。紀元前200年頃には既に人々が居住していたそうで、紀元前25-16年の間、ガロ・ロマンの時代に街は形成されました。この時代の円形劇場、神殿跡等がある一方、中世のシャトーや城塞の塔等も残り、見どころ満載の街です。 |
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カテドラル・サン・フロン Cathédrale Saint-Front de Périgueux | |
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参考 Référencesとリンク Liens | |
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その他の街の見どころ Autres points à voir | |
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アクセス Accès |
Cathédrale Saint-Front de Périgueux |
ペリグーの大聖堂は、ギリシア十字のプラン、天井にはクーポルが連なるビザンティン風の教会堂として有名です。しかし実際はその西側に、更に歴史が遡るラテン式教会堂が連結した形となっています。 この大聖堂のスタイルは、ロマネスクとビザンティン様式が混在した、ロマノ・ビザンティン Romano-byzantinと呼ばれます。 同時に、Paul Abadie指揮の下19世紀に実施された大改修工事でも、大聖堂はその名が知られています。この時の工事は、必ずしも古の遺産がリスペクトされたわけではなく、教会堂のプランと全体としてのヴォリュームはそのままに、Abadieが新たに設計し直したといっても過言ではない程大きく変貌したようです。 |
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ペリグーのサン・フロン大聖堂は、「フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」(ヴェズレーの道)に位置する教会堂として、ユネスコ世界遺産に登録されています。 La cathédrale Saint-Front de Périgueux est inscrite sur la liste du patrimoine mondial de l'UNESCO au titre des chemins de Saint-Jacques-de-Compostelle en France (via Lemovicensis/voie limousine ou voie de Vézelay). またこのサン・フロン大聖堂は、「フランス歴史的記念物(Monuments Historiques/MH)」に指定されています。 Elle est aussi classée au titre des monuments historiques (MH). |
ちなみにAbadieは、パリ・モンマルトルのサクレ・クール大寺院 Basilique du Sacré-Coeur de Montmartreの設計や、アングレームのサン・ピエール大聖堂 Cathédrale Saint-Pierre de'Angoulême、カオールのサン・テティエンヌ大聖堂 Cathédrale Saint-Etienne de Cahorsの修復も手掛けています。 |
このページでは、メロヴィング朝時代以来の教会堂を「ラテン式教会堂 Eglise latine」、クーポル天井のギリシア十字プランの教会堂を「ビザンティン風教会堂 Eglise byzantine」と呼ぶことにします。ご了承下さい。 |
■Extérieur | ||
Historique この地に初めて教会堂が建てられたのは、メロヴィング朝の時代、500-536年の間とされます。ペリグーの最初の司教となった、サン・フロンの墓の上に建てられました。これはラテン式教会堂の部分です。この教会堂はノルマン人により845年に大部分が破壊されてしまいます。 後、1047年に、サン・フロン修道院教会として再建されます。 しかしこの修道院教会は、巡礼者達を迎え入れるには充分なキャパシティがなかったため、修道院教会の東側に新たな教会堂が建てられます。この教会堂の内陣は西側にあり、天井にはクーポルがありました。またこの新設の教会堂は、メロヴィング朝時代以来のラテン式教会堂と内陣・主祭壇を共有していました。 これら2つの教会堂は、1120年の大火事の惨禍に見舞われます。そこで更に、現存するようなクーポル天井のビザンティン風の教会堂が、1173年に2つめの教会堂のところに新たに建てられます。 その後、後陣祭室の新設などといったマイナー・チェンジを経た後、19世紀にAbadieにより大がかりな改修工事が実施されます。 ちなみにカテドラルとなったのは、16世紀のことです。 |
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Façade de l'église byzantine ビザンティン風教会堂のファサードは北にあります。ポーチは12世紀の建設時からあったようですが、現在のファサードは全体としてはAbadieによるデザインです。 張り出したポーチの横幅は25メートル、5つのアーチが連なり、その上にテラスがあります。1581年に造られた中央の入り口 は、Porte du Gros又はPorte du Greffeと呼ばれます。 |
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Vue du nord-est / Absidiole |
Absidiole est |
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北クーポル(ファサードから入ってすぐのスペース)の東側に後陣祭室があります。これは既存の後陣祭室を取り壊して、19世紀に新しく造られたものです。 | 東クーポルの東側に、半円形プランの後陣祭室があります。ここには元来1337年に建てられたシャペル・サン・タントワヌ Chapelle Saint-Antoineがありましたが、19世紀の改修工事の際に取り壊され、新たに現存の後陣祭室が設えられました。 |
Vue de l'est 西側から見たイメージです。ドームの奥に、鐘楼が見えます。 ビザンティン風の教会堂は、ギリシア十字(正十字)プランで、天井にペンデンティフ技法によるクーポル、屋根にドームがギリシア十字に並びます。これは13世紀に破壊された、コンスタンティノープルの聖使徒大聖堂 Eglise de Saints-Apôtres de Constantinople(現存せず)をモデルにしています。ちなみに同じく聖使徒大聖堂をモデルとして建てられた教会堂に、ヴェネツィアのサン・マルコ寺院 Basilique Saint-Marc de Veniseがあります。 天井にクーポル、外観としては屋根にドームが連なるスタイルの教会堂には、カオールのサン・テティエンヌ大聖堂 Cathédrale Saint-Etienne de Cahors、スィヤックのサント・マリー修道院教会 AbbayeSainte-Marie de Souillac等があります。 |
Clochetons 屋根には小塔が林立しています。この小塔は円形プランの上に、柱頭彫刻が施された小円柱が伸び、鱗のようなカサが被されています。これもまた、19世紀の改修工事の際にが新たに付け加えられたものです。 |
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Vue du sud-ouest 南西の方角から見た姿です。 西(写真左)側にメロヴィング朝以来のラテン式教会堂、鐘楼、それに続いて東側にビザンティン風の教会堂が並びます。 |
Vue du nord 写真中央は、ビザンティン風教会堂の西クーポルの部分、その右手(西側)に鐘楼が見えます。 |
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■Eglise latine | ||
ラテン式の旧教会堂は、ビザンティン風教会堂の西側に位置し、そのファサードは西側にあります。12世紀に再建された鐘楼の奥に、ビザンティン風の教会堂が続きます。 Historique ラテン式の教会堂は、500-536年の間、メロヴィング朝の時代に、サン・フロンの墓の上に建てられました。現存のファサードも、この時代に遡ります。この時代のラテン式教会堂は、単廊で、木造天井でした。カロリング朝の時代には側廊が設置され、三廊式の教会堂となります。しかしこのラテン式教会堂は、845年にノルマン人により大半が破壊されてしまいます。 976年にベネディクト派の修道会が設立され、メロヴィング朝時代の教会堂の場所に、1047年、サン・フロン修道院教会が建立されます。この教会堂は内陣には石造のヴォールトが架けられており、また、ここにはサン・フロンの石棺(1077年に制作)がおさめられていました。 この修道院教会は巡礼者を迎え入れる程のキャパシティがなかったため、11世紀、時程なくして修道院教会の東側に、クーポル天井がある教会堂が新たに建てられます。これら新旧2つの教会堂は、内陣・主祭壇を共有していました。 しかし1120年の大火事でメロヴィング朝以来のラテン式教会堂も新設の教会堂も大きなダメージを受けます。そこで、1173年に、2つめの教会堂のところに現存するようなビザンティン風教会堂が建てられていきます。 |
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Façade de l'église latine |
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ファサードは、高さ20メートル、幅20メートルあります。 |
■Eglise latine : nef | ||
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ファサードを身廊から見たイメージです。現在、身廊だった部分は青空天井です。 Portail ラテン式教会堂のファサード入り口は、12世紀に遡ります。尖頭型アーチの上に、2つの半円筒アーチの開口部があります。 Quatre tours à chaque angle ラテン式教会堂の身廊だった部分四隅に、角柱が建てられています。これは、後世にこの部分にもクーポル天井を造るために、そのベースとして建てられたようですが、結局クーポルが架けられることはありませんでした。 |
■Eglise latine : clocher | ||
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下部は長方形のプラン、次に正方形のプランになり、小円柱のある上部は円形プランとなります。頂には、松ぼっくりのようなカサ Pomme de pinが被されています。 | 現存する鐘楼は、1120年の火災の後12世紀に再建されました。カロリング朝の時代に建てられた身廊の2ベイの上に聳えています。高さは64メートルあります。 |
身廊から鐘楼を見たイメージです。当時の半円筒アーチが見えます。 写真下には、建物内部へと続く入り口があり、ここから先建物内部は、カロリング朝時代に建設された部分になります。 |
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■Eglise latine : intérieur carolingien | |||
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ラテン式教会堂で今も天井が残っている身廊は、カロリング朝の時代に建てられた部分です。現在2ベイのみが残り、この上に鐘楼が聳えます。 1120年の火事の後鐘楼は再建されるのですが、この部分は鐘楼を支えるベースとして強化する必要に迫られ、バットレス等が付け加えられました。 写真下に見える入り口は、ビザンティン風教会堂の西クーポルに続きます。かつてはこの先にラテン式教会堂の内陣・主祭壇がありました。 |
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カロリング朝の時代になり、側廊が造られ三廊式となりますが、側廊の部分は現在は祭室に造り替えられています。柱の量感には、ただただ圧倒されます。 | ||
Coupole sur trompes |
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鐘楼のクーポルは、トロンプ技法によります。半円筒アーチの下に、柱頭彫刻が見えます。 |
■Intérieur de l'église byzantine | ||
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Vue du nord 北ファサードより入ってすぐのイメージです。 Cryptes et grotte 地下にはクリプトが広がり、幾つかの祭室があります。更にクリプトの下には、サン・フロンが隠者として暮らしていた洞穴 Grotte de Saint-Frontが広がります。 尚、現在クリプトと洞穴は、9月のフランス文化財の日 Journées du Patrimoineにのみ見学することができるそうです。 |
Vue de l'ouest ラテン式教会堂からの入り口辺りから見た、ビザンティン風教会堂内部のイメージです。ビザンティン風教会堂の内部は、どのアングルから見ても比較的画一的な印象です。 |
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■Intérieur de l'église byzantine : coupoles | ||
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Coupoles sur pendentifs |
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Vue de l'est |
ペンデンティブ技法によるクーポルが軽量感を出しています。クーポルの外側はドームとなっており、その上には小塔 Clochetonsが聳えます。 | |
クーポルは正十字型(ギリシア十字)に並びます。かつてクーポルのサイズはそれぞれ異なっていました。19世紀の改修工事の際、全て同じサイズに造り替えられ、各クーポルそのものもより丸く形が整えられました。 |
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クーポルを支える四角柱は、一辺6メートルもあります。しかし通路としてクロス型に貫かれているため、石の量感が軽減されています。 |
■Intérieur de l'église byzantine : fresques | |||
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■Intérieur de l'église byzantine : coupole nord | ||
北クーポルの東側(写真右)には、もとより後陣祭室がありましたが、19世紀の改修工事の際に取り壊され、新たに設計された後陣祭室が造られました。ここには現在、聖母マリアの祭壇 Autel de la Viergeがあります。 現存するクリプトの中で、北と南のクーポルの下にあるスペースが最も古く、12世紀に遡ります。クリプトは19世紀の改修工事の際、幸いにも手はつけられませんでした。 |
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■Intérieur de l'église byzantine : coupole est | ||
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東クーポルは他の4つに比べて、やや高く設計されています。1968年より前までは、東クーポルのもとが内陣とされており、主祭壇がありました。 Grand retable : l'assomption de la Vierge Marie 東クーポルの奥(更に東側)には、1337年に建てられた後陣祭室 シャペル・サン・タントワヌ Chapelle Saint-Antoineがありましたが、19世紀の修復工事の際に取り壊され、新たな後陣祭室が造られました。現在ここには17世紀に制作された祭壇衝立があります。木製で、バロック様式です。 |
■Intérieur de l'église byzantine : coupole sud | ||
Ancien autel : autel du Sacré-Coeur 南クーポルの東側にも、後陣祭室があり、ここには1968年前まで主祭壇として使用されていたものが飾られています。18世紀に制作されたものです。 |
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■Intérieur de l'église byzantine : coupole ouest | ||
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現在、西クーポルのもとにはパイプオルガンが設置されており、この下にある通路は、ラテン式教会堂へと続きます。ラテン式の修道院教会と、それに引き続いて11世紀に建てられた2つめの教会堂の共通の内陣はここにありました。 かつては西クーポルの下に、クリプト Crypte de Saint-Front(現存せず)がありました。 なお、この写真右側(北側)にシャペル・サン・ジャック Chapelle Saint-Jacquesが、左側にもうひとつの告解室 Confessionがあります。 |
■Intérieur de l'église byzantine : coupole centrale | ||
Maître autel 中央クーポルのもとには、主祭壇があります。1968年以降は、ここが内陣となっています。 Lustres : Jérusalem céleste 各クーポルのもとに、シャンデリアが吊り下げられています。これもAbadieがデザインしたもので、ヨハネの黙示録にある「新しいエルサレム(教会を象徴)」を表現したものだそうです。 |
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■Intérieur de l'église byzantine : deux confessions | ||
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Confession nord "chapelle Saint-Jacques" 西クーポルの南北両側に、それぞれ告解室 Confessionsがあります。 建設時のこの2スペースの用途は不明ですが、7世紀に遡る北側のスペースは現在シャペル・サン・ジャック Chapelle Saint-Jacquesとなっています。現在1ベイが削られ、12世紀に増設された上階も、19世紀の改修工事の後、姿を消しています。 他方、南側にある告解室は9世紀に遡り、ほぼ建設当時の姿で残っています。 |
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Statue de saint Jacques |
■Cloître |
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回廊は、大聖堂の南東側、ラテン式教会堂の南に位置します。1047年、修道院教会建設時に造られました。そして、1173年にビザンティン風教会堂が建てられた際に、改修されました。 4つのギャラリーがあり、ラテン式教会堂に面している北ギャラリーが最も古いと考えられています。また、東と北のギャラリーは、半円筒アーチを残しています。 回廊の周りには、南側には台所と食堂、東側には参事会員の住居等がありました。しかし、1898年から1907年にかけて回廊の修復工事が行われた際、これらの建物は破壊されてしまいました。現在、東ギャラリーに参事会室 Salle capitulaireがありますが、これは1928年−1929年にネオ・ゴシック様式にて過去に存在した参事会室を再現したものです。 |
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Vue de la galerie ouest |
南と西のギャラリーは、14・15世紀にゴシック様式に建替えられました。天井はオジーヴ・ヴォールトで、アーチは尖頭型です。 |
♠参考 Références♠ |
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♠リンク Liens♠ | ||
♦SUPERIGUEUX (Office de tourisme de Périgueux) | http://www.tourisme-perigueux.fr/ | |
♦Périgord com. | https://www.perigord.com/ | |
♦LE GUIDE DE PERIGORD | http://www.guide-du-perigord.com/fr/index.html | |
♦Ville de Périgueux (Mairie de Périgueux) | http://perigueux.fr/ | |
♦Les Amis de la Cathédrale Saint-Front de Périgueux | http://www.amiscathedralesaintfront.fr/ |
♠その他の街の見どころ Autres points à voir♠ |
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♦エグリーズ・サン・テティエンヌ Eglise Saint-Etienne de la Cité | |
♦ミュゼ・ダール・エ・ダーケオロジック・デュ・ペリゴール Musée d'art et d'archéologique du Périgord |